こんばんは。3度目のコーセーです。
早速本題。
「朝鮮人追悼碑」をショベルカーで破壊、「行政代執行」の裏側…市民団体の抵抗虚しくについて考える
群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人労働者の追悼碑が1月29日から2月2日にかけて、県の行政代執行によって、破壊・撤去された。
これを受けて、追悼碑を管理してきた市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」は2月7日に予定されていた、碑を維持するために起こしていた2つの訴訟を取り下げた。
「守る会」の藤井保仁事務局長は、取り下げの理由について「訴えの利益がなくなったので、裁判はここで一区切りとすることにしました」と説明している。
撤去が始まる前日の1月28日には、追悼碑前で最後の追悼集会がおこなわれたが、右翼団体が妨害しようとする一幕もあった。碑をめぐって、何が起きていたのか。
朝鮮人労働者の追悼碑の表側には「記憶 反省 そして友好」と標されている。
裏側には、戦前の日本政府の労務動員計画によって、鉱山や軍需工場に動員された朝鮮人労働者が、群馬県内で命を失うことが少なくなかったことや、過去を忘れることなく未来を見つめ新しい相互の理解と友好を深めていきたいという思いが刻まれていた。
この追悼碑が設置された詳しい経緯や、なぜ設置更新が不許可になったのかについては以前記事にした。
・朝鮮人追悼碑訴訟「司法は行政に追随するな」 まさかの逆転敗訴に「市民団体」は最後まで戦う決意
https://www.bengo4.com/c_18/n_13524/
群馬県が設置許可を更新しなかったのは違法だとして、「守る会」が不許可処分の取り消しを求めた訴訟は2022年6月、不許可を認める判決が最高裁で確定した。これを受けて、群馬県は同年8月、「守る会」側に自主撤去するよう求める書面を送っていた。
その後、群馬県と「守る会」は5回にわたる協議を重ねてきたが、県は撤去と原状回復を求める姿勢を崩さず、2023年4月に撤去および原状回復命令を通告している。「守る会」は同5月に新たな許可申請を提出したが、県は同6月に不許可処分を言い渡し、さらに同7月には期限を設けていない催告通知を送付した。
「守る会」は同年10月11日、追悼碑の撤去と原状回復命令の取り消し、同6月の不許可処分の取り消し、碑の管理許可を求めて、群馬県を相手取りさらなる訴訟を起こした。その第1回目の口頭弁論が2月7日に予定されていた。
しかし、群馬県は裁判期日も決まっていなかった昨年10月25日、山本一太知事と県土整備部都市整備課の連名で「守る会」に戒告書を送っていた。12月28日までに撤去と原状回復をしない場合、都市公園法に基づいて、県が行政代執行をおこなうという内容だった。
このときに群馬県が根拠としたのは、都市公園法27条(*1)と行政代執行法2条(*2)である。
詳しい条文は後述するが、要するに今回のケースで、もし仮に都市公園法に基づくルールに反していれば、公園管理者の群馬県は、追悼碑の撤去や原状回復を命じることができる。その命令に従わない場合で「その不履行を放置することが著しく公益に反すると認められる」ときは、群馬県が代わりに撤去できるというものだ。
とはいえ、追悼碑は「群馬の森」のパンフレットにも記載されておらず、正門から遠く離れた場所にある。「その不履行を放置することが著しく公益に反する」とは、到底認められないのではないかという疑問が生じる。
また、戒告書には「この処分があったことを知った翌日から起算して3カ月以内に群馬県知事に対して審査請求をすることができます」とあるにも関わらず、送付してから2カ月の間に撤去と原状回復を迫るのは矛盾があるのではないか。
さらには、追悼碑の建設費は570万円なのに、撤去費用3000万円も請求するのはなぜか。追悼碑の存続を願う人たちの間では、群馬県の強引な進め方に対して、こうした強い反発が起きていた。
年が明けて1月20日、前橋市の群馬県教育会館で、追悼碑存続を求める市民集会が開かれて、県内外から200人以上が詰めかけた。
この裁判の問題点をまとめた『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判 歴史修正主義とは?』(雄山閣)著者で、群馬大学情報学部の藤井正希准教授がゲストスピーカーとして登壇した。
藤井准教授は、山本知事が定例会見で「最高裁で結論が出た以上、その判断にしたがって必要な手続きを粛々と勧めていく」と語ったものの、最高裁で確定したのは「更新不許可処分が適法である」ということだけで、"追悼碑を撤去しろとは言っていないこと"について指摘した。
また、追悼碑の設置以降、物理的改変が加えられてない以上は「都市公園の効用を全うする機能」を喪失したり「中立的な性格」を失ったりすることはありえず、追悼碑の客観的価値・意義は不変なのに、政治的な主張を禁止するためのマジックワードとして「政治的中立性」を持ち出すことは明確に誤りであると述べた。
一方、群馬県は年明け以降、追悼碑周辺の樹木を伐採するなど、代執行への布石を着々と打ち続けていた。1月22日、行政代執行を実施する令書が届くと、翌1月23日に「守る会」は県庁記者クラブで会見を開いた。
メンバーたちは、口頭弁論前に追悼碑を壊そうとする群馬県の姿勢の「乱暴さ」を批判しつつ、「どうか壊さないでほしい」という思いと吐露したが、それでも県は聞き入れることはなく、1月29日から2月12日朝まで公園を閉鎖すると発表した。
1月28日午前11時、公園周囲がバリケードで固められる中、「守る会」関係者は追悼碑前での"最後の集会"を開いた。すでに追悼碑の台座には「撤去に反対」「語り継ぐ」などと書かれた"ハート型のメモ"が置かれていたという。その後は追悼碑の周りを掃除する人、ハーモニカで韓国の民謡「アリラン」を演奏する人などが現れ、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
午後2時を過ぎたころ、右翼団体とみられる隊服を来た老人や中年男性らが現れて「裁判で決まっただろ!朝鮮人労働者を強制的にしたんかい!」などと叫ぶ一幕もあった。
これに対して、碑前に集まっていた人たちから矢継ぎ早に「近現代史をどう勉強したのか」「ちゃんと説明しろ」と逆質問が飛んだ。右翼側は「お前ら革命だろ」といった言葉で応酬しようとしていたが、多数の警察官が割って入り、厳戒態勢が敷かれることとなった。
午後3時からは、有志による追悼集会が始まり、黙とうやスピーチ、韓国の民俗芸能「プンムル演奏」が約1時間にわたり繰り広げられた。
公園が閉まる午後5時30分になっても、多くの人たちが追悼碑前に佇んでいた。なぜなら、この時点でも、公園敷地内に右翼が留まっていたからだ。県職員は「閉園時間ですので退園をお願いします」と繰り返すが、「右翼を先に退園させてくれないと、駐車場で鉢合わせてしまうので怖くて帰れない」という声があがった。
拡声器で退去を促す県・都市整備課長に対して、報道陣が、代執行の取材撮影許可や、3000万円の内訳説明などを求めた。しかし同課長は「関係者以外にお話できません!」「工事関係者以外については立ち入り禁止です。それしか言えません!」と言い放ち、質問に答えることなく暗闇に姿を消した。
翌1月29日の午前9時40分、群馬県による行政代執行が始まった。その模様は完全非公開だったが、朝日新聞社のヘリが飛び、追悼碑のあった場所にブルーシートや鉄板を敷いてショベルカーが整地している様子を撮影した。すぐ近くに積まれた瓦礫の山とともに、1月31日付けの記事で報道している。
2月2日に撤去完了したことで、当初の予定より1週間以上早い2月3日に再開園すると、かつて追悼碑があった更地には花が置かれるようになった。
「最高裁の場で決着がついたというのがすべて。今回のことは、裁判の経緯をよく見せてもらい、私たちはできる限りの説明をした。あの碑自体を否定しているわけではなく、過去の歴史を修正しようという意図はない。すべて私が責任を取るつもりだし、県民のみなさんには理解してもらえると思う。私のもとに連絡は来ていないし、外交的な問題は起こっていない」
山本知事は2月1日の定例会見で、記者から追悼碑の撤去について問われた際にこう答えた。
しかし、韓国の聯合ニュースは1月29日、行政代執行の開始を知った韓国外交部が記者団に対して「両国の友好関係を阻害しない方向で解決できることを期待している」との立場を示したことを伝えている。
またソウル新聞も同日、済州特別自治道の呉永勲知事が1月26日の山本知事との会談の場で「日韓関係が安定的に発展できるよう、政治的に考えてほしい」と友好的解決を求めていたことに触れた。
呉知事は1月27日、群馬県選出の中曽根弘文参院議員とも会談し、その際にも「一方的に解体して廃棄するのではなく、新たな知恵が生まれることを期待する」と述べていたという。
済州特別自治道は、群馬県と観光を中心とした交流拡大のための実務交流協議書を締結しているが、呉知事は帰国後、交流協議見合わせを検討すると発表している。
「守る会」側は今年も追悼式典を4月下旬に予定しており、新たな形で活動を継続して続けていくとしている。追悼碑の撤去によって、群馬県は"観光交流"の機会を逃すことになったといえる。一方で、「守る会」の精神は、たとえ追悼碑がなくなっても、壊されることなく、今後も続いていくようだ。とのこと。
これは、完全に市民側が悪い。公共施設に設置することがまず間違っているのに、それをあたかも私有地に設置していると言う主張に無理がある。先に約束を違えたのは、市民の方だ。これを許してはいけない。撤去費用はかさんでも、今後維持して行く費用を考えれば安いものだ。朝鮮という国との外交は、既に絶望的だ。これを機に、外交が悪くなると言うなら上等だ。それぐらい強い意志が、今の日本には必要。
そんなわけでまた明日( 一一)