あさま山荘事件突入から50年 長野県警などが追悼

こんにちは。5度目のコーセーです。

 

早速本題。

あさま山荘事件突入から50年 長野県警などが追悼について考える

昭和47年2月に過激派組織「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町の山荘に立てこもった「あさま山荘事件」で警察が突入、メンバー全員が逮捕されてから28日で50年となった。現場近くに建てられた顕彰碑「治安の礎」では、銃撃で殉職した警察官2人の慰霊式が開かれた。

事件は47年2月19日、連合赤軍のメンバー5人が、あさま山荘管理人の妻を人質にして10日にわたり立てこもった。28日に長野県警と警視庁などが強行突入し、人質を救出、犯人5人を逮捕した。

突入の際、警視庁第2機動隊長の内田尚孝警視長=当時(47)、2階級特進=と特科車両隊本部の高見繁光警視正=同(42)、同=が銃撃により、死亡。突入前に現場に近づいた民間人の男性1人も銃撃で死亡した。

式には長野県警軽井沢署員や町の防犯組合役員、警視庁幹部らが参列。新型コロナウイルスの影響で代表のあいさつなどはなく、静かに献花が行われた。

軽井沢署の柏木隆署長は「非常に厳しい状況で決意をもって(職務に)あたられた。警察の使命感を忘れず、今後も引き継いでいきたい」と語った。

当時、建物を破壊した鉄球のクレーン車などの操縦を担当した白田(はくた)弘行さん(84)は毎年追悼に訪れており、「機動隊の人たちが皆泣いている姿は耐えられなかった。忘れられない日です」と話した。

式に先立ち、突入した長野県警機動隊OBでつくる「かえで会」の会員8人も訪れ、追悼。毎年、治安の礎を訪れていたが、会員の高齢化などを理由に50年の区切りをもって解散を決めた。とのこと。

 

私が生まれる前の話ですが、何となく事件概要は知っています。今で言う過激派による暴挙。それで3人の方が亡くなった痛ましい事件。それも今年で50年、半世紀が経ちました。解散は残念ですが、高齢化は仕方ないですね。50年続いたことを、誇りに思って欲しいです。

 

そんなわけでまた後程。

 

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