タレントや俳優が声優をすることに集まる批判とその反論 演出とブッキングの側面から考察

こんばんは。3度目のコーセーです。

 

早速本題。

タレントや俳優が声優をすることに集まる批判とその反論 演出とブッキングの側面から考察について考える

テレビアニメの劇場版やオリジナル長編アニメ映画、そして洋画の吹き替えなどで長年の論争になっているのが、“タレントや俳優が声優をすること”についてだ。

たとえば現在公開中の『ONE PIECE FILM RED』でも俳優の山田裕貴やお笑い芸人の霜降り明星が出演しており、9月9日公開の『夏へのトンネル、さよならの出口』も鈴鹿央士飯豊まりえらが出演している。  こうした作品に対し、少なからずあがるのが「声優という職業があるのだから、タレントや俳優がその役を担うべきではない」という意見だ。しかし、それ自体が問題ということではないはずだ。  まず、テレビアニメについて考えてみてもらいたい。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』両津役のラサール石井や『キラキラ☆プリキュアアラモード』有栖川ひまり役の福原遥など例外はあるが、基本的にテレビシリーズではタレントや俳優がレギュラーキャストとして起用されることはほとんどない。それは、出演することによって長期間の拘束が発生するからだ。その場合、タレントや俳優が担うことはできないため、声優という専門の職業が必要なのだ。だが、単発の劇場映画の場合は映画に出演するのと同義とも言えるため、テレビシリーズの声優をすることとは別問題として考えられる。  反対に、『合い言葉は勇気』(フジテレビ系)、『鎌倉殿の13人』(NHK総合)の山寺宏一や、『半沢直樹』(TBS系)の宮野真守のように、声優がドラマに出演することだってある。  もちろんプロモーションとして、タレントや俳優、あるいはテレビ局制作の映画ではアナウンサーをキャスティングする場合もあり、話題性だけで連れてきたような場違い感が漂う作品が少ないとは言い切れない。しかし、それは例外的なものである。  長編アニメ映画の場合は、“アニメ”作品という以上に、一本の“映画”として考えている制作者も多い。近年は実写映画の監督や脚本家がアニメ映画を制作することも増えていて、制作者によっては、実写映画に出演している俳優の方がイメージしやすい場合もあるはずだ。そして製作期間が限られているため、俳優側もスケジュールの都合をつけやすい。  海外のアニメ映画も同様で、ディズニーやドリームワークスも90年代から積極的に俳優をキャスティングしている。『トイ・ストーリー』(1995年)のトム・ハンクスティム・アレンはあまりにも有名だが、現在公開中の『ミニオンズ フィーバー』でもスティーヴ・カレルドルフ・ラングレンジャン=クロード・ヴァン・ダムらが出演している。  『メアリと魔女の花』(2017年)、『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021年)、そして10月公開の『ぼくらのよあけ』で声優を務めた杉咲花。さらに『ハウルの動く城』(2004年)、『サマーウォーズ』(2009年)の神木隆之介、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)、『天気の子』(2019年)の上白石萌音、『ブルーサーマル』(2022年)の堀田真由、『バズ・ライトイヤー』(2022年)の鈴木亮平今田美桜などは、各作品でその声色が絶賛されている。  極端な例を挙げるなら、『となりのトトロ』(1988年)の糸井重里、『風立ちぬ』(2013年)の庵野秀明など、スタジオジブリ作品では演技を生業にしていない人物がよく起用されている。それはあえてプロではなく、素人感を出すための演出上の狙いであり、その場合は制作側の意図の問題だ。  そもそも声優の人たちも、専門学校などに通って、はじめから声優を目指していた人もいれば、俳優や劇団員として芽が出なくて声優に転向した人もいたりする。このように、実は俳優と声優はそんなに遠くない職業なのだ。  これは、お笑い芸人が俳優としてドラマや映画に出演することにも似ている。芸人は、大勢の客の前でステージをこなしている。コントや漫才も、劇のセリフを読むのと同じで、やっていることは俳優に近い。  つまり、結果的に完成した作品の良し悪しは、厳密には消費者の感性による判断であり、作品に込められているのは制作側の意図のみであるということ。「タレントや俳優が声優をやるべきではない」という論争は、作品に合っていないタレントや俳優をキャスティングしたことに対してであって、作品の空気感を作れる人であれば問題はないはずだ。  歌手が俳優をするべきではない、俳優が歌手をするべきではない、声優がアイドルや歌手をするべきではない……など、そもそも論を持ち出せばいくらでも言えてしまう。一つ言えることがあるとすれば、人間はひとつの職業しかしてはいけないという制限はないということ。それこそが固定観念である。  時には思ってもいなかった才能に出会えるかもしれない。それは固定観念に縛られていては出会えなかった体験のはず。そんな出会いも魅力のひとつとして捉えてみることで、より作品を楽しめるのではないだろうか。とのこと。

 

人気俳優たちを声優として、起用するのはどうかと思う。勿論審査を通過して、選ばれたなら問題はない。現実は人気俳優や、お笑い芸人を起用しているのは話題を呼びたいからだ。勿論、審査などせずに起用されている。それには納得出来ない。

 

そんなわけでまた後程。

 

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