写真研究者と考える大阪駅の広告炎上問題「切り取られた画像だけで判断しないで」

こんばんは。2度目のコーセーです。

 

早速本題。

写真研究者と考える大阪駅の広告炎上問題「切り取られた画像だけで判断しないで」について考える

JR大阪駅に11月に掲示されたゲーム「雀魂(じゃんたま)」とアニメ「咲-Saki-全国編」のコラボ広告を巡り、前衆議院議員尾辻かな子さんが、性的な広告が駅出口にあることに対し違和感を表明したことを契機に、ツイッターを中心に賛否が応酬する事態となっている。

電車内や駅など公共空間の広告分析をしている写真研究者の小林美香さんは「切り取られた画像だけを見て性的かどうかという議論は成立しません。公共広告は、掲出される位置や大きさ、視線の高さによって見え方は変わります」と指摘する。

九州大などで、広告がどんなメッセージ性を持つかを言語化し共有するワークショップと講義を行っている小林さん。受講する学生が、同じ広告を目にしていても、さまざまな見方がコメントとして出てくることで、お互いの認識の仕方の違いを知り、他者を理解する訓練になるという。

「広告に限らずどのような視覚表現であれ、一見して受ける印象や、好きか嫌いか、正しいか間違っているかの二項対立的な意見の枠組みの中に閉じ込められるのではなく、広告がどんな構成になっているかを冷静に観察・分析し、自分が見る主体として、表現の構成要素を因数分解するように精査した上で、それが公共空間の中に置かれる妥当性を考えるべきです」

小林氏によると、12本の柱に4枚ずつ掲出されたこの広告は、下部の白黒の色面配分や上部のライトとあいまって「市松模様の床と色の調和が考えられており、よく計算されデザインされている仕事」だという。

展覧会などでも人の視線の高さは140~145センチとされるといい、この広告の場合、視線の位置がちょうど少女の脚元に当たる。この通路を通る人にとっては48面の少女の絵に囲まれ、連続して脚元から見上げるような感覚になるはずだと指摘する。また、ネームプレートがヒップの位置にあることも特徴的だ。

その上で、ファンや作品に親しんだ人たちがスマホの画面で見るのとは違い、人流が多く周囲に注意を払って歩いたり、立ち止まったりすることが多い駅の通路という場所では、尾辻氏のように疑問を感じる人もいるはずだとする。とのこと。

 

こういう記事を見る度に、何かとつけて批判したがる人こそどうなのだろうか?と思ってしまう。こういうコラボを純粋に楽しめない程、この国はダメになってしまったのだろうか?現実と、非現実を切り離して考えられないのだろうか?大きな疑問を抱くのは、私だけではないはず。

 

そんなわけでまた後程。

 

news.yahoo.co.jp