寂しさこらえ、長男と一歩一歩前へ 京アニ事件2年、遺族男性が心境

おはようございます。3度目のコーセーです。今日はこれが最後の更新です。

 

早速本題。

寂しさこらえ、長男と一歩一歩前へ 京アニ事件2年、遺族男性が心境について考える

夜になると妻はよく鉛筆を握っていた。京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった池田晶子(しょうこ)(本名・寺脇晶子)さん=当時(44)=の夫、譲(ゆずる)さん(48)は「アニメを一途(いちず)に愛し、人生をささげたことを伝えたい」と取材に応じた。18日で事件から2年。寂しさを押し込め、子どもと一日一日を歩んでいる。

宇治市内の自宅の寝室に幅150センチの机がある。晶子さんは家事を終えると時間の許す限り、スケッチブックに筆を走らせた。仕事とは違う、基礎のデッサン。譲さんの手や首筋などをモデルにした。京アニの代表作「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」「響け!ユーフォニアム」のキャラクターデザインで名を上げても、何百、何千枚と描き続けた。  「これが大事。私はまだまだ絵が下手やから」。日付が変わる頃、そうつぶやいていた姿を譲さんは思い出す。  2007年に結婚した2人。グラタンが得意料理で子どもに優しい妻は、アニメを語ると少女のようだった。「絶対秘密やで。次はこんな作品やるねん」「ハルヒ、大好き。描くのが楽しい」。「響け!―」のイラストを子どもに見せては「これ、ママが描いたんやで」とうれしそうにしていた。若手アニメーターが低賃金に苦しむ業界に、「若い子が家庭を築けない」と憤り、その構造を変えたいと願っていた。  あの日。晶子さんは突然帰らぬ人となった。「何が何だか分からなかった」。譲さんに悲しみを感じる余裕はなかった。とにかく子どもを支えないといけない。長男は小学校に行くのをしぶるようになった。譲さんは「四十九日が終わったら、寂しいとか悲しいとかはやめよう。前を向いて、強くなろうな」と励まし続けた。  泣くのをやめた長男は、代わりにママの話をしなくなった。事件から1年が過ぎても変わらなかったが、最近になって突然、話すようになった。「ここ、ママと歩いたよね」。駅から自宅への路地を、思い出を探すようにゆっくりと歩く。  譲さんはこの2年、大学職員として働きながら、長男と日々を重ねることに精いっぱいだった。晶子さんの遺品は押し入れにしまった。「僕が寂しさを見せると、子どもが感じ取ってしまう。しっかりしないと」  晶子さんが絵を描いた机では今、長男が勉強に励む。夢は「人を助けるお医者さん」という。  「テストで100点取った」「やるやん」。長男の前で、譲さんはいつも明るい表情だ。でも夜に一人でいると、ふと寂しさが押し寄せる時がある。  晶子さんと2人で海外ドラマを見たこと。けんかしてしまったこと-。思い出が残るリビングで、言葉を詰まらせた。「もっと話しておけば良かったな、こんなことをしたかったな。後悔ばかりだけど、もう会えないんですよね…」とのこと。

 

京アニ事件から、必死で立ち直ろうという姿を垣間見える内容ですね。失った時間は戻らない。亡くなった方も戻らない。そんな辛い思いをしてでも、一歩一歩前へ進もうという強い意志を感じます。

 

そんなわけでまた明日(>_<)

 

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