西城さん「ヤングマン」秘話 超臨時発売に過重労働、レコード工場で慰労の熱唱

おはようございます。コーセーです。

 

今日もまた曇りの天気。夜からは雨が降るようで、局地的には雷雨になるそうです。気温は少し下がって24℃の予報少しは過ごしやすい陽気の一日になりそうです。

 

さて、本題。

西城さん「ヤングマン」秘話 超臨時発売に過重労働、レコード工場で慰労の熱唱について考える

西城秀樹さん死去

 1970年代に西城さんのマネジャーを務めた天下井(あまがい)隆二氏(66)が、故人の代表曲「ヤングマン」の制作秘話を明かした。

 1978年12月の年末。東京都港区のリハーサルスタジオ。天下井氏はチーフマネジャーから「おい、天下井、アンコールの外国曲に日本語詞をつけといて」と指示された。

 当時はステージで外国曲のカバーが当然のように披露されていた。ディスコではやり始めていたビレッジ・ピープルの「YMCA」という作品。同曲のテープの入ったカセットデッキをスタジオの屋上に持って行って1時間ほどで「ヤングマン」の日本語詞を書き上げた。「そういうことは、昔はよくあったんです。直訳のような詞でした」と振り返る。

 年明けの1月4日から3日間、大阪・厚生年金会館でのコンサートで同曲を初めて披露。ずっと働きづめだったので、その公演の後、みんなで休みを取り、グアム旅行に行った。現地のディスコで「ヤングマン」を流すと、地元の人たちは大喜びで踊ったという。

 帰国するとリクエストが殺到していて、急きょ2月21日発売の新曲としてレコーディングすることになった。超臨時発売ということで、神奈川県大和市にあるレコードの工場はパニックになった。過重労働をさせて申し訳ないと、必死に働いている工場の人たちへお礼に訪れた。ミカン箱の上で西城さんが歌うと、女性たちは一緒に踊ってくれたという。とのこと。

昭和の時代を駆け抜けた人物の一人、西城秀樹さんが亡くなって深い悲しみに包まれている方も多いと思います。2度の脳梗塞を経て尚、ステージにあがることをやめなかった西城さん。ヤングマンは今でもワイモバイルのCMで使われていたりと、世代を越えて愛される曲だと思っております。忙しいスケジュールもこなしていたようで、すごいなぁと思いました。どうか安らかにお眠り下さい。

そんなわけでまた明日<m(__)m>

 

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