天国へかける“風の電話” 癒えぬ傷と生きる 岩手県大槌町

こんにちは。コーセーです。今日は3月11日あの日から9年が経ちました。

 

今日の天気は曇りのち晴れ。晴れと言っても大分雲が多い晴れですが、気温は暖かく、20℃を超えています。明日も晴れますが、気温は少し下がりそう。花粉に注意です。

 

さて、本題。

天国へかける“風の電話” 癒えぬ傷と生きる 岩手県大槌町について考える

自分だけ助かってごめん。ずっと、ありがとうって言いたかった──。岩手県大槌町の高台に、洋風の電話ボックスがぽつんとたたずむ。ボックスの中にあるのは黒電話と1冊のノート。電話線はつながっていない。だが、東日本大震災で失った大切な人に最後の別れを言おうと各地から遺族が訪れる。家屋の倒壊で両親を失った男の子、娘を津波で亡くした母親。行き場のない悲しみを電話口にぶつけ、天国に話し掛ける。気持ちのつながりを求めて。

電話ボックスを設置したのは、花きや野菜を栽培する同町の佐々木格さん(75)。約70アールの庭を整備し、2011年4月に「メモリアルガーデン」として開放した。電話ボックスの周りを100種類以上の草花が囲む。「津波で親友を亡くした。誰が死んでもおかしくない状況で、自分が生かされた意味をずっと考えていた」

亡くなった親友はいつも突然電話をかけてきた。「おい、飲もうよ」。朝まで語り明かしたことも一度や二度ではない。「“いつも急だな”と怒ってみせたが、本当は電話があるとうれしくて」と振り返る。

 9年前のあの日、最大20メートルの津波が同町を襲った。親友は海沿いに住んでいた。連絡が取れなくなった。「いつものように電話がかかってくるはず。死ぬわけがない」。だが願いはかなわず、遺体で発見された。変わり果てた姿に、本人かどうかさえ分からなかった。胸ポケットにメモが入っていた。佐々木さんの電話番号だった。「肌身離さず持っていたのか」。突然の別れに絶望と虚無感に襲われ、体が震えた。

 「一言、“ありがとう、またな”って、それすらも言わせてもらえねぇのか」。その思いが電話ボックスに込められている。佐々木さんはつながらないとは知りつつも親友の電話番号をゆっくり回したという。「酒を飲むときは、いつも一緒だからな。今までありがとう」。少しだけ心が軽くなるのが分かった。

 電話ボックス設置後はメディアや口コミで広がった。これまで訪れた人は4万人を超える。

 震災から丸9年。自らの庭を開放し、遺族の心を癒やす佐々木さん。これからも高台に訪れる人に声を掛け続ける。電話はつながらない。だが、故人を思う気持ちは、いつもつながっている。とのこと。

 

あの日から丸9年、今も原発の影響で苦しんでる方は多数居られます。亡くなった命は戻らない。そのためにも、一日一日を大事に生きて行くことが大事だと思います。復興は全力を挙げて進んでおりますが。まだまだ充分とは言い辛いのが現状です。どうか被災者がまだ相当数居るということを忘れないでいただきたい。

 

そんなわけでまた明日。黙とう。( 一一)

 

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