NHK「貧困女子高生」について考える。

こんばんは。コーセーです。

 

先日、NHKでは「貧困女子高生」という番組をやっていたようです。

『貧困』と聞くと思わず他人事ではない気がして気になって仕方ないです。

さて、昨今『貧困』を取り上げる企画や番組が多くみられるようになって来ましたがここでまずは大前提どこからどこまでが『貧困』になるのでしょうか?

その日食べるものがないから貧困。子供の数が多いから貧困。給与が少ないから貧困。自分の趣味に使うお金がないから貧困。他人と比較して貧困。そもそも『前提(基準)』がないから貧困が分からない。というのが現状だと思います。

今回の番組は多くの方からバッシングの声があがっているようです。それもそのはず。この方は本当に貧困の方からすれば充分に裕福な生活を送っていると思われるからです。

確かに進学に際して必要なだけの金銭はないのかも知れないです。しかしながら、趣味に使う金銭は持ち合わせているという何とも不可解な実態に疑問を抱いたのは決して私だけではないはずです。

進学出来ないから『貧困』である。という定義が成り立つなら、この日本という国には一体どれだけ貧困な方がいらっしゃるのだろうか?『私立に行くお金がないから止む無く公立の学校へ行く』こんな話を聞くことは決して珍しい話ではないし、自身の希望する学校へ行けないからこれは『進学が出来ている』とは言えないのではないだろうか?

つまりこれも『貧困』に値すると考えると想像を絶する数の方が『貧困』状態であると考える。

 

子供の貧困は誰の責任なのか?

そもそもでいうところの『貧困』を謳う親の収入に驚きを隠せないというのが率直な意見なのだが、一体何故その程度の収入で子を産み、育てようと思ったのか?もちろん人それぞれに事情は存在するだろう。しかしながらこのご時世、一体どれだけの方が無計画なのだろか?と思うのがいわゆる一般論ではないのだろうか?

 

極論。そもそも良く『女子』の貧困が話題になるが、『男子』の貧困が話題になることは少ない。これは何故なのだろう?世の中の報道が偏り過ぎていること自体がそもそも問題ではないのだろうか?

とまぁそんな具合に世の中が良くわからない方向に進んでいる気がしてならない今日この頃。新都知事さんの『満員電車ゼロを目指す』みたいな良く分からないことを言い始めるこんな世の中。もっとなんか色々考えることはありそうな気がするけど、まぁとりあえず今日と変わらない日常が送れることが些細な幸せであると考え明日もまた一日頑張って行こうと思っております。

headlines.yahoo.co.jp

 

蛇足。

最近『パソコンが欲しい』みたいなことをいう若者が増えているらしい。パソコンは一昔前に比べればだいぶ身近なものになったけど、まだまだ『贅沢品』の部類に入ると思う。中古のパソコンならそれこそ1万円せずに買えるけど、パソコンが手に入ったら次はネットに繋ぎたいって言うだろうし、そもそもネットに繋がってないパソコンってあまり必要性を感じない気がするんだけどどぉなんだろう?

パソコンが買えない=貧困

っていう考え方がなんか違う気がする。スマホの普及に伴ってパソコンの需要が落ち込んできた今、何故そこまでパソコンなのか?最近の若者って良くわからない…という中年のぼやきでした。

 

ここまで読んで下さった方には感謝です。